2014年8月29日金曜日

なつやすみ

本日は真様の聖誕祭なので夏期休暇を取得して盛大に祝っていた.

ひろう

疲れていた自覚はあんまりないけれど,帰宅してちょっと眠いから横になって,気が付いたら 5 時間経過していたから,たぶん,疲れていたんだと思う.

明日は(消化しないと起こられるので)夏休みを取ったし,少しぐったりとしようと思った.

2014年8月26日火曜日

あっちこっち

あの,体感時間,3 時間アニメとかではなく,最近のわたくしの話.

先々週は洞爺湖周辺に行って,先週は富良野周辺に行って,今週(というかいま)は函館で温泉に浸かっている(大沼にも行ったよ!).

来週はどこにも行かないけれど,再来週は鹿児島に出没する予定.そのあとは関東行ったり,道東行ったり,また函館に来たり,山登りしたり,また,洞爺湖周辺に行ったり…….今年は,病気スタートで,あんまり出張行けてないなーとか思っていたのに,シーズン終わりにかけて,なにこの密度…….

2014年8月25日月曜日

淡い期待

久し振りに,良い演技をしている新人声優を見付けてほくほくしている.通り一遍教科書通りでもあるんだけれど,ときどき,ハッとする演技があってよい.

2014年8月24日日曜日

なんだかなぁ

自分より年下の人間が死ぬ年なんだな.

百合妄想

レズセックスの快楽には勝てなかったよ的な,レズセックスに溺れていく人妻とか,一般的なノンケな観念を強く持っている人間が悪女に堕とされるみたいなのが読みたいから書こうと思うけど,オカルトでエログロなぐちゃぐちゃのメンヘラ同士の凄惨な話も書きたいからどっちを先に書くか迷うなう.前者は,エロマンガ的すぎてあんまり美しく書ける自信がないから後者かな.退廃的な,反社会的な,グロテスクな,いびつな感じで後者なら,美しく描ける気がする.前に想起した,「私とあなたの間には子供が出来ないからお互いの血を混ぜるの.血が混ざって凝固して,そこに私は二人の未来を見るの」的なネタを上手く組み込んで……

秋が来る

季節の巡るのは早いもので,今日などは初秋の空気を感じましたが,それとともに,秋までに書かなければいけなかった原稿のことを思い出したり.取りかかればいつでも書けると思って放置していたのが良くなかった.真面目に書こう……

2014年8月19日火曜日

知らない世代

70 年も前の戦争を一国民の立場で知っていたことがその人の個人の歴史・経験以上の何になるというのだろう,という疑問.

不愉快ななにか

「一理ある」は一理 "しか" ない.

物事の一面的な正義を振りかざすタイプの扇動者をネガティブにもポジティブにも取り上げるのはやめるべき.不愉快でしかない.

もっと不愉快なのはその一応の理屈に納得してか,晒し上げか知らないけれど,それを拡散する人間.

備忘

8/19 5:00AM 不快感とともに目覚める.猛烈な目眩.いわゆる vertigo 状態.回転性が強くて,完全に少し前の突発性難聴時の症状と同じ.数分間,横になっていると解消.突発性難聴の目眩や難聴症状は単発だということなので,やや不安になりつつ,少し体を動かして目眩の様子を確認したが,以前の状況と異なり,目眩の症状が復活することはなし.

以上,個人的なメモ.とりあえず,次の通院までに細かい状況を忘れないように.

都道府県の石

これの補足というか,未消化ネタ.

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「道の化石に首長竜を!」という運動が北海道で始まったときに勃発する穂別と中川の内紛に稚内とかがこっそり参加して収拾がつかなくなるという妄想.最終的にエゾミカサリュウあたりが漁父の利を得るとか.

2014年8月16日土曜日

童謡

他の国のことは知らないけれど,日本では童謡というといわゆる明治以来の学校教育で使われてきた唱歌とか,マザーグースみたいな外国の子供向けの歌とか,外国の古い民謡とか,ものによってはミュージカルの名曲とかシャンソンとかまで含んだよくわからない総体を指す言葉として存在している.

とある 2ch で叩かれるためだけに存在しているような(偏見)バンドの曲を,聞いてみて,この人たちのルーツと言うかバックグラウンドは,上記のような意味で童謡なんだろうな,と思った,という話です.ちょっと面白いとは思ったけど,良いとは全くもって思わなかったので,もう一度彼らの曲を聴くことはないと思うけれど,メモ.

2014年8月15日金曜日

素朴な疑問

ジェンダーの形成とかなんとか難しいところは良く知らんけれど,小さい女の子の将来の夢の典型的な解答が「お嫁さん」だったりしたり,なりたい職業のランキングにクッキリとその時点での男女差が反映されていたりするのに,そういう希望とかを無視するかのような数字の上での均衡を目指すような目標って,本当に女性の社会進出になるんかね?

ざっくりと言うと,そもそも,いま男ばっかりがやっている仕事を目指している女の子ってどれだけいるのか,とか,その志望が(生物学的な)性差に由来するもの以外のいわゆる差別によって阻害された結果,諦めざるを得なくなるって状況はどのくらいの頻度で発生しているんだろう,と.

とあるアニメ

とあるアニメに関して,(たぶん)描きたいんだろうな,というものが凄くいい.

ただし,その描き方は上手いとは全然言えなくて,はじめにちょっと期待していただけに残念だったり.脚本も,ときどきハッとするセリフはあったけど,大したことなかったしね.

ただ,人間はみんなクソ野郎で自分勝手で表面を取り繕って生きていて,一瞬の共同体に永遠の幻想を抱きながら,人付き合いの方法に老練していない故に,あっという間に崩壊していく様を描く,というのはとても良い.中途半端にアニメ的な円満解決とかしなければ,少しは評価したいけど,たぶん,そういう展開はないだろうな.

2014年8月13日水曜日

体が痛い

最近気付いたこと.

年を取ったせいか,疲れが "痛み" として体調に表れる.

2014年8月11日月曜日

二次創作文化

……が基本的に嫌い.正確にいうと(大きくても小さくても)金が絡む二次創作文化が嫌い.

僕のこの感情の根本には,原作者に対する敬意があるのだけれど,キャラにしろ物語にしろ,生み出すことが一番大きい仕事だと思うので,それを表層からかすめ取って何かを作るという行為自体が非常に姑息に感じる.

もちろん,好きなキャラを描きたいとか,サイドストーリーを妄想したいとか言う欲求は否定する気はないし,一切の金勘定が絡まないなら(コピー代もだよ!)ご自由にお楽しみくださいとしか言えない.しかし,二次創作系の交換会的なものにいるような,屁理屈を重ねて「グレーゾーンをこれまで頑張って作ってきた歴史が〜」みたいな能天気な発言をするやつやそういう文化圏のコミュニティーは大嫌い.

そもそも,人のふんどしを借りて,自分が好きなことをやっているだけなのに,コピー代だけであったとしても,自分の懐を出来るだけ痛めたくないという神経が厚顔無恥すぎる.(そもそもそんなに大々的にやるなよと思うけれど,そこまでは否定する気はないので)配ったりして交流したりしたいなら,完全に自腹を切ってただでやるのが礼儀じゃねーの,と.それか,(直接会うしかコミュニケーションがなかなか取れなかったような遥か昔ならともかく今なら)ネット上でコミュニティーでも作ってデータで交換してろよ,と.

たぶん,はじめにこういうコミュニティーを作りはじめた人たちは,(良く知らないけれど)こういう部分を多少は弁えていたんじゃないかなとは思うのだけれど,最近の風潮はファッションとして先人の発言を纏っているだけで,本質がズレてきているような気がするのだ.

ざっくばらんにいえば

初音ミクにデスメタルを歌わせたり,野狐禅みたいな男くさい歌を歌わせるなんてバカな真似はネタ以外ではしないでしょってこと.

イメージを食って生きている

まだ,書こうと思っていることが上手くまとまっていないのでこっち.

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何かを生み出すとか,表現するとかには経験が大事だと多くの人は考えているし,それは,当然,生み出したものに付随する付加価値として意味がある.だから,著名な創作者の多くは,「若いうちに色々な経験をしろ」とか,そういった類いの言葉を残している.しかし,一方で,例えば藤子・F・不二雄先生の言葉の様に「経験をしていない人の生み出すものが見たい(うろ覚えなのでニュアンスで)」という類いの発言も色々ある.いつだったか,宇多田ヒカルが「『First Love』を書いたときには恋なんてしたことなかったよ」的な発言をしたというのも見たことがある.

下世話な話をすれば,人を殺したことのある作家や演技者や視聴者や読者なんてほとんど居ないのにも関わらず,それを表現したり,その表現に共感したり感動したりすることも出来るし,逆に上手く表現できなかったり,それを見て下手だと感じることも出来る,ということだろう.

例えば,表現のなかで演技に焦点を絞る.

演技には,大きく分けてふたつほど大きな潮流がある.ひとつはシェークスピアを頂点とするイギリス演劇の,いわば,如何に素晴らしく脚本を読み上げるのか,という考え方.もうひとつは,いわゆるメソッド演技だ(※).もちろん,もっと細かい分類は出来るし,亜流は無数に存在する(例えば,日本映画の演技っていうのは,世界の演技の潮流の中ではかなり特殊な部類だし,もっと分かりやすいのでいえば,インド映画の演技なんて斜め上の方向に天元突破しているのは見たことのある人なら分かるだろう).

(※)いわゆる演技力とかいわれるのは大抵こっち.概念を説明するのは難しいけれど,役者が役に「なりきって」感情を発露するという考え方.「リアリティー」と言ってもいいけど,やや違って,演技をもって観客を「納得させる」表現をとるということ.例えば,泣きわめいている人間がセリフを発話できるのはおかしいから,セリフを明瞭に言わない,みたいな.ただ,この考え方は役者の精神的な負担が大きくて,色々問題があるとか言われているし,実際に,死者も出している(最近だと,ヒース・レジャーの自殺なんかもこれが遠因だといわれている).

イギリス演劇系の演技とメソッド演技は,一般に,対立とまではいわないけれど,別の方法論だとは思われている.でも,実際,どちらかの演技を極めたような役者は,もう片方の方法論にたっても「上手い」ことが多く,結局,演技(表現)の目指すところは同じだといえる.

じゃあ,その目指すところというのがなにか,ということなんだけれど,それは見る人間のなかの「絶対多数のイメージ」なのだろう.もちろん,何かの演技(表現)と同じ経験をした人もいるし,演技(表現)者がそれを経験したことがある場合もあるだろうけれど(ごく日常的なものであればそれも多いだろう),ぶっ飛んだ,さっきの例を引くなら殺人のような,ほとんどの人が経験したことのない事象を演じる(表現する)ためには,「イメージ」に沿わなければ,それが上手いとは思われない.例えば,リアリティーを極めるために殺人犯にたくさん取材をしたところで,観客の「イメージするリアリティー」とズレていれば,上手い表現とは思われないだろうということ.

僕が分かるところでいえば,「天才」の表現なんかが当てはまる.僕は,ガチの「天才」といえるような滅茶苦茶に頭のいい人を見たことがあるので,「天才」を表現しているものを見てもピンと来ないことが多いけれど(要はちっとも天才には見えない),そんな表現でも評価されているところをみると,多くの人のイメージする「天才」像はこうなんだろうな,と思う.逆に僕が知っている「天才」を役者に表現してもらっても,誰の共感も得られなくて,下手と感じられるんではないだろうかと.

客はイメージを食う生き物である.

だから,客層に合わせて,同じものを表すのに複数の表現が存在するのであるから,逆にいうと,表現者は客層のイメージに合わせて表現しないと売れるものは作れない.よって,漫画家を表現するときには付けペンに墨汁が必須なのだろう.QED.

2014年8月8日金曜日

すこしふしぎ

SF ではなく.

アニメでも漫画でもドラマでも映画でもそうなんだけど,メディアで漫画家が扱われるときに,みんな揃って,付けペンに墨汁付けて,カッターでスクリーントーンをガリガリやってるって描写は一体なんなんだろうね?

2014年8月6日水曜日

うなぎくった

うな重

ひと仕事終わったので,自分へのご褒美とか精をつけたりとか.うなぎとか俺が食い尽くしてやるぜ!

薄野まででる気力がなかったので近場の店で食ったけど,昔,薄野で食ったうなぎのほうが美味かった気がするので(いや,ここも十分美味かったけど),今度は,あっちに食いにいこうかな,とか思ったり.

2014年8月4日月曜日

ねがてぃぶ

ネガティブなことを率直に書けないくらいには,気い使いな性格なのは,そろそろ直したいとは思っているのです(ひとつ前の記事を眺めながら).

思えば遠くに

SNS というものがあって,自分の過去の知人との繋がりを消極的に省エネで維持できる時代になった.まぁ,そこを通じて,実際に再会したりとかなんとかということなんてないんだけれど(というか,そこまで積極的に懐古するほどの年でもない),昔,少しでも接点のあった人たちや友人が,いま,なにをしてなにを思って生きているのかというのがほぼリアルタイムで情報として流れてくるって,ちょっと凄い.

まぁ,多くの場合,自分の遍歴(ドクターとってオーバードクターやって世界の色んなものを見た結果,ふつーじゃない職に就いた)の特殊性から,不特定多数の(いわゆる)みんなとは隔世の感がある(研究者仲間もある程度いるけどね).

(色んな意味で)思えば遠くにきたものだ.

評判 の続き

これの続き.

評判に踊らされた結果,見てよかったのが「WIXOSS」,気になったときに見なくて,あとになってから見て「とっとと見ておけば良かった」と後悔したのが「俺ガイル」.見て後悔したのは無数にあり過ぎて挙げきれないので,勝率はものすごく低い.

2014年8月3日日曜日

撫子とか明里とか

この辺に対するオタク界隈の反応を眺めるときに生じる言いようのない気持ち悪さってなんなんだろうと思うんだけど,いつもピンと来ないまま終わってしまう.

※撫子はいうまでもなく「物語シリーズ」で,明里は「秒速」の「桜花抄」ね.

前者については,そもそもの作品中での描かれ方(というか演出者の解釈)が気持ち悪いし,後者は作品を見た視聴者の一部の反応が凄く気持ち悪い(物語シリーズはアニメしか見ていないので,原作でどう描かれているのかは知りません).

この二つに共通しているのは,ものすごく身勝手な「真実の愛」みたいな幻想だと思う.前者は,演出者が売るためにそういう演出をしていることによって生じる気持ち悪さで,後者は,普通の出来事(=昔,いい感じになった女の子も離れた世界で普通に生きて普通に恋愛して普通に結婚する)を描写した結果,一部の視聴者に気持ち悪いアレルギー反応を引き起こしたということなのでしょう.

特に,「秒速」に関しては,男(イケメン)がごく普通に色んな女を食い散らかした結果,偶然,初恋の女の子に線路越しに再開した瞬間に過去がフラッシュバックした,というだけの映画なのに,このクソ男が叩かれないのか,というのが昔から不思議なんです.

あ,最後になりますが,僕はこの二人のキャラは嫌いです.はい.

つまらないこと

自分も,まぁ,つまらないことを言ったりとか,渾身のネタのつもりで外すことは良くあるんだけど(大抵そうという突っ込みは甘んじて受けます),完全に外しているネタを複数回押してくる人の神経は理解できない.気付かなかったんじゃなくて,気付いた上でつまらないからスルーしてんだよ,と.

評判

事前情報で全然食指が動かなかったアニメが流行っていたりして,評判を聞くんだけど,それを聞いても面白そうな雰囲気が全く伝わってこないんだけど,気にはなる.見ちゃえば良いんだけど,見て,つまらなかったら,それはそれでヘコむからどうしようかなと思っているうちに,どうでも良くなるのがいつもの流れ.

2014年8月1日金曜日

それは予知に似る

また,女子高生の殺人の件.よほど,この凶悪事件には,僕の性的嗜好を刺激する要素があると見えるけれど,そういう痴的な話は別の機会でw

既に起こった事象に関して,過去の関連性が高い記録から事象を防げたのではないかとか,予期できたのではないか,という主張ほどくだらないことはない.

これは地質現象の予知の研究なんかでも見られるドグマではあるけれど,現象に関連性が高いものを研究していくと,大抵の場合,解析していくとカオスの段階が現れて,予測という行為の意味が消失するという(この辺は,僕の専門とは大きくかけ離れているので,その分野の研究者の話の受け売りなので,詳細は突っ込まれても答えられません.悪しからず).

カオスとは全然別物だけれど,殺意が殺害という行動に移るまでの間には,これに似た要素があるとは思う.

予防や予見は深刻な事態を未然に防ぐ上で重要だとは思うけれど(災害でいえば防災),既に起こった事象に関して,(広義の)被害者の救済と同時進行しなければいけないほど,過去の関連性の高い事象の分析なんて重要な問題ではないだろうと思う.