2015年1月31日土曜日

アイマスカバー曲

http://blog.livedoor.jp/news23vip/archives/4818369.html

いおりんの「カナリア諸島にて」が入っていないことに衝撃を隠せない.大滝詠一さんの声は大好きだけど,この曲に限ってはいおりんの方がいいくらい.基本的にいおりんのカバーは当たり多い気がする.「ガーネット」,「Do you remember me?」,「ラビットパニック」あたりもよかったし,「恋愛サーキュレーション」も良かった.

真様好きだから,真様のカバーは基本好きだけれど,「Swallowtail Butterfly」と「ナツノハナ」と「DING DONG」は特に良かったな.「星間飛行」もいい.

思い入れなしで語るならりっちゃんの「東京は夜の七時」とか,ちひゃーの「まっくら森の歌」あたりがハマってたかな(声質だけ.歌唱力についてはノーコメントで).あと,ネタ枠で毛虫の「すいみん不足」とか.俺と同じ誕生日であるところの小鳥さんの「やさしさに包まれたなら」も好き.

……しかし,年単位でアイマス曲とか聞いていなかったのに,声だけで誰か分かるレベルをまだ維持している自分に驚愕.

(※ただし,フォローしているのは MASTER ARTIST2 くらいまで)

広告2

また,ネット広告の話.

 iPhone の Safari でスマホ表示にしておくと,サイトの種類に関わらずエロマンガやエロスマホゲームの広告がよく表示されるんだけれど,最近,普通のサイトに表示されるそれらの広告に規制がかかったのか,完全にエロシーンなのにとって付けたような,それこそ Windows Paint で上からてきとーに塗りつぶしただけのような下着が追加されていることに気付いた.

2015年1月29日木曜日

挨拶状

入籍報告の挨拶状などを作成.

普通のテンプレを使ってもつまらないから色々マニアックなネタを仕込んだりとか(文章はテンプレ通りだけれど).

2015年1月28日水曜日

気になる……

ちょっと前から,電子書籍とか電子貸本とかの広告が多くなった.最近は,マンガの電子書籍出版も増えてきて,自宅の面積的に,電子書籍で購入するのもアリなのかもしれないとか思ったりもするけれど,(槙島さん的思想で)紙の本を捲るのが好きなので,その一歩は,当面,踏み出さないと思う.

ところで,基本的に,そういう広告は無視しているんだけれど,なんとなく目に入ることは多々あって,そういう中で,極稀に,もの凄い展開が気になる数コマ抜粋とかがあったりするのは,完全に広告主の術中にハマっているんだろうな,とか思います.

2015年1月27日火曜日

中身(笑)

http://chaos2ch.com/archives/4290700.html

中身(笑).このスレで語られていることは,もはや古典な「動ポモ」一冊で全て解決する気がする.いや,'80〜'90 年代の大塚英志の評論でも十分かも.'00 年代論客は存在を無視して問題ないかと.

まぁ,中身といった場合,一般的には物語の有無ということになるのかな,と想像してしまうんだけれど,「中身がある」って一般的にいわれているのは,物語の喪失した記号の集合的な設定重視の作品が多いのは,たぶん,気のせいではない.作品から与えられた設定という記号を使って,鑑賞者が自分の物語を作品中に投影できる状態のことを「中身がある」といっているのではないかと推測できるからだ.

例えば,「ナウシカ」は,"中身論者" をはじめとして,一般に「映画よりもマンガの方が〜」なんて語られ方をすることが多いけれど,物語が太く全体を貫いているのは映画の方であって,原作後半は,設定厨の宮崎駿によるほとんど物語を喪失している設定消化に過ぎない(「動ポモ」いうところのデータベース消費.この辺は,押野武志の講義を受けた影響が強い.「童貞としての宮沢賢治」あたりに詳しい).ただし,僕は映画の方が好きだけど,だから,原作はダメというわけでもない.結局は,どこに面白さを感じるかということが左右しているのであって,テクストを読むこと,テクストから読み取れる事実に魅力を感じる人にとっては設定の有無は重要ではないし,設定から己の物語を紡ぐこと(=「中身」)に快楽を覚える人にとっては「中身がある」ことが重要なのだろう.僕が後者に相容れないのは,単純に,二次創作文化が嫌いだからなんだけれど,この辺,二次創作文化の展開とも関連が強い気はする.

中身がないことの槍玉に挙げられるのは,いわゆる日常系で,その中でも(売れたから)「けいおん!」は,真っ先に挙げられることが多いように思う.「けいおん!」の描く世界は,架空の女子校の中の架空の世界と捉えれば,耽美主義的な文学や,いわゆる少女小説に近似できるかもしれないし,日常の中に潜む感情の機微を描いていると捉えれば,私小説や純文学的でもあるかもしれない.個人的には,「けいおん!」をはじめとする日常系の作品群は,小津映画的だと思っている.そういう意味では「中身がない」と揶揄されるようなモノは,ほかのメディアでは,さして珍しくもなく,そして,それぞれの分野で一定の評価がなされているものでもある.

ここで,ちょっと面白いなと思うのは,こういった日常系の二次創作が非常に多いことだ.それらの多くは,数少ない設定を高い自由度と解釈して,既存の物語に設定を当てはめることで,「中身」を欠く日常系を「中身論者」の要求を満たすように改変しようとしているように見える(代表的なのは蛸壺屋).この辺,大塚英志辺りが盛んに言っていた「大きな物語を喪失した時代」に生きていかなきゃいけない今の若者が物語の消費欲を満たしているということなのかもしれない.

物語の喪失以降が,ポストモダンだったとすると,「中身がない」と揶揄される作品群は,アニメ(というかサブカルチャー)がようやく脱構築し始めた切っ先ともいえるかもしれないですね(マンガはたぶんもっと古い時期にこの段階に至っているんだけど).

まぁ,こっちにつらつら書いているということは,その程度の妄言ということです.後期クイーン的問題(の第一問題)あたりまで話を伸ばす気力は湧かなかった.

字幕のはなし

補足.

字幕については,数々の名(迷?)翻訳を生み出してきたことを,もっと評価するべきだと思う.

例えば,分かりやすい例だと,"Here is looking at you, kid." を「君の瞳に乾杯」と訳したとしても,それを声優が日本語で発話してしまっていたとしたら,たぶん,こんなに語り継がれる名台詞としては残っていないのじゃないかと.耳でハンフリー・ボガードの賺したイケメンボイスを聞いて,異国のキラキラした世界でイケメンと美女が囁きあっているという雰囲気に浮かれているからこそ「君の瞳に乾杯」が,際立つものだと思うわけです.これが日本語で発話されていたら,いくら絵が異国のイケメン美女であっても日本語の響きにどこか日常を想起させられてしまうのではないかと.

2015年1月26日月曜日

字幕と吹き替え

字幕か吹き替えかで論争になることがあるけれど,基本的に字幕派.字幕の情報量の少なさとか,訳の拙さとかは,まぁ,頑張って聞き取れば,そんなに問題ではないかと(※).それより,声という役者の演技の大部分を占める要素を他人のもので代替したんじゃ,役者にも監督にも失礼じゃないかと思うのです.ぶっちゃけ,なに喋ってるか分かんなくたって,演技や映画は楽しめると思うの.一回見て,内容把握してる映画なら字幕も消すよ.

でも,アクションとか,演技を気にしない映画は吹き替えの方が気楽でいいかも.アニメも吹き替えでいいかな……(日本の声優業界の層の厚さ的な意味で).

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(※)長セリフとか,堅苦しい独白とか,小難しい議論とかは,制作者側も "聞けるように" 撮るから意外と楽に聞き取れるんだけれど,日常会話はぼちぼちで,どーでもいい(言い争っていることが伝わればいいような)クロストークとか,展開が急な場面での短い言葉の応酬とかは,かなり難しいから字幕に頼る感じ(そういう場面は字幕の少ない情報量でも構わないし). あと,訛りの強い役者さんのセリフはお手上げ,字幕様万歳という程度.

面白い

http://blog.livedoor.jp/news23vip/archives/4816473.html

こんなの,完全に読者の主観以外のなにものでもないんだけれど,自分が好きなものの系統がみんな似通っているかというと,そんなこともないから謎だよね.大した量のマンガなんて読んでないけれど,自分のマンガ書棚の系統ちゃんぽん振りはかなり謎.

ちーちゃんの存在

本編補足.

「ちーちゃんはちょっと足りない」のちーちゃんの存在とはなんなのか,というところ.

一義的には,本来,全く交わらないナツとその他の世界をつなぐキーであって,ナツがどういう人間なのかは,ちーちゃんの存在を通してしか物語に関わらないので,ちーちゃんと読者以外には誰にも分からない(ちーちゃんの存在意義がマクガフィンであるともいえる).そして,ナツの存在を物語の世界から疏外するための,読者とナツだけを作品から切り取るための道具のようなものでもある.

話自体も,「ちょっと足りない」のは,ナツなので(ちーちゃんはだいぶ足りない),結局,タイトルそのものが悪意のようなものだと思うのでした.

まぁ,ちーちゃんが,世界と繋がっている限りは,未来にどういう苦い経験を経るか,という点を置いておけば,バカなナツにとっても世界との繋がりは放棄されていないわけで,ちーちゃんがエルピスのようなものであると解釈すれば,あのラストはパンドラの箱の底に最後に残ったもののような寓話にもなりうる(この寓話の色んな解釈コミで).

2015年1月25日日曜日

雪ミク

そんなわけで,新千歳に行ったときに,職場の上司から雪ミクの展示が行われているとか聞いたので迷い込んでみたんだけれど,よく考えなくても,初音ミクには造形的な魅力を感じるし,ボーカロイドという楽器には興味がなくはないんだけれど,マスターでもないし,あのキャラクターそのものには何の思い入れもないものだから,二次創作的なキャラクターをフィーチャーしたあの空間にはなんの思いもなかったのでした.

関東

所用で関東に行ってきた.ちょうどいい天気に恵まれて,道民には暑いくらいだった.両親と妹夫妻と飯を食いにいったのだけれど,(何の嫌がらせか)北海道の料理を出す店だったりして,なんだかよくわからなかった.真だちが美味かったので,まぁ,よかった.

ぎふ

http://alfalfalfa.com/archives/7771899.html

行ってみたいところではあるけれど,このスレ読んでも魅力が全く伝わってこなかった件.白川郷とか,美濃とか,飛騨高山とか,郡上八幡の層状チャート岩体とか色々,見に行きたいところは多いな.

2015年1月22日木曜日

こりずに

また,見てもやってもいない艦これのはなし.

なんか,史実通り(?)艦娘が沈没(死亡?)したとかなんとか盛り上がっているようなので,ミッドウェーでぼろ負けして空母 4 隻ほかを失って坂道を転がり落ちるようにボロボロになって(この場合,中途半端な展開のアリューシャン戦は無視して構わん),最終的に深海なんちゃらに本土を占領統治されるとか,そういう展開なら,面白いのでたぶん見る.あと,やっぱり,あのレイテ沖海戦をやるなら見るかも.最終話がレイテ沖とかだったら胸熱.

2015年1月21日水曜日

よかった

某センター試験の数学 IIB が随分と低い平均点で話題になっていたので,久し振りにセンター試験の問題を眺めてみた.全部解けたのでよかった.ただし,時間制限はないものとする(1 時間半くらいかかった?).

触れるだけ馬鹿をみる

あの件とあの件には触れるだけ馬鹿をみるから何も書かない.

めたる

http://alfalfalfa.com/archives/7766345.html

メタル好きだけど,最近は,ほとんど新規には手を出していない.そもそも,以前から日本のメタルバンドは(有名どころを除いて)ほとんど聞いてこなかったけれど,最近となると,あれだけ好きだった人間椅子も後藤さん脱退後は 2 作くらいしか追ってないし,陰陽座なんてもう何年聞いていないか分からないくらい.筋少は相変わらず聞いているけれど,アレをメタルに含めるのは異論が噴出しそうだから止しておきたい.

何故か全くと言っていいほどスレ内で触れられていないけれど(メタル好きの一人として "あえて" 触れない理由も分かる),日本のメタルシーンの現状は,良くも悪くも X が大きくなり過ぎたせい.

2015年1月20日火曜日

ただ格好いいことを言ってみたいだけ

とある問題に関して,「新視点」や「卓越した」と言われるような,いわゆる鋭い意見とされるものの大部分は,文言の外に論理の飛躍や発言者のとんでも脳内設定を内包しているもの.ごくごく稀にある,ほとんどの関連事項に関して配慮の行き届いている鋭い意見というのは,ひとつのパラダイムシフト.

2015年1月18日日曜日

そういえば

今日は,センター試験の 1 日目だったらしいけれど,「相変わらず,ソシュール以前の世界に生きているバカが国語の設問に関してあーだこーだバカな話をしてるんだろうな.世界はもう,ポストモダンの時代も終わっているというのに……」とか思っていたら,案の定過ぎて,日本の国語教育はどうなってるんだろう,と心の底から不安になった.

少なくとも,僕は,高校の現代文の時間にソシュールからソーカル事件までの言語学史のザックリした解説は受けたし,(大学入試程度の)国語の試験は記号学に基づいたテクストの読み取りの習熟具合を見られるから,そういう技術を磨け,と言われたわけで(一応,全国的に有名な私立の進学校だったから,これが普通とは思わないけれど),普通の教育を受けていれば,どこかしらでそういう概念は学ぶと思うんだけれど…….

http://alfalfalfa.com/archives/7762061.html

好奇心の赴くまま,やりたいことだけやって生きていられる場所を探して生きてきたらここに来たので,未だに感覚的にはよくわからない世界の人たちの会話.

やったことに付随して賃金が支払われるのだから,賃金のために何かをするという感覚は,やっぱりなんかズレてる気はする.普通の人は金がもらえたってめちゃくちゃ嫌なことはやらないだろうし,いま現在の仕事がつまらないと思っていても補償的に生活のためとか理由をつけて割り切るだけなんじゃねーのかな,と.

基本的に,成果主義やホワイトカラーエグゼンプションに親近感があって,労働量を無視して時間を賃金に換算することに嫌悪感を もつタイプなので.

自分を顧みると,ただ生きるとか,ただ生活することにはまったく興味がないので,やりたいことをやる時間を賃金に交換してまで生きるくらいなら,とっとと死んだ方がいいと思ってしまう.猛烈にやりたいことがあって,それにかかる金を稼ぐために時間を売るという考え方はわかる.

すのはれ

昨日,すのはれをパロって遊んでたけれど,snow halation という状態を想像するに,夜の街灯の灯を照り返す雪ではなくて放射冷却でガンガンに冷えた日の朝日を受けた雪原で目が眩むようなイメージの方が近かったかな,と思い直した.

素直に stargazer な頬のそばで舞う雪たちでかじかんだ指のすき間を通る星座から未来を見れば良かったな.

2015年1月17日土曜日

季節感・冬

誰にも理解されないかもしれないけれど,北海道の冬が好き.そりゃ,クソ寒いし,(地域によるけれど)雪も多いし,一般的にネガティブな要素ばかりだけれど.

例えば,しばれる朝に,ガンガンに暖まった室内から外に出た瞬間の,外気に触れた肌が切れるような痛みとか,肺腑に吸い込んだ空気が頭に抜けるような冷たさとか,カラカラに乾いた雪の舞う風とか,目の前に広がる白と黒のモノトーンに沈む風景とか,そういうのが好き.例えば,凍てつく夜に,灰色の雲が街を覆っていて,ハラハラと舞う雪が街灯の光をキラキラと反射する中でかじかんだ手を擦り合わせながら咥え煙草で歩くときに切なさと名前をつけて,悔しいけど好きって純情〜♪

(真面目に随想散文書くの飽きた)

人に北海道を勧めるときには「夏の気候が最高」とか「寒さは着れば耐えられるけれど暑くても全裸以上には脱げない」とか言っているのだけれど,実のところ,(わざわざ戻ってきてまで)北海道に住み着いている理由は,冬の季節感にあったりする.

2015年1月15日木曜日

デスク探し

自宅での作業効率化のためにデスクが欲しいと思っているんだけれど,なかなかしっくりくるデザインのものがない.オサレ感とかスマートな感じとかいらないから,奥行きがあって安定感のある感じで,10〜15 万円くらいまでのデスク,どこかに落ちてないかな…….

2015年1月14日水曜日

なんだそりゃ……

某学会から「学会会場に以前送ったフリーパスを持ってこないと会場に無料では入れないよ!(要約)」という衝撃のメールが…….いや,行かないからどうでも良いんだけど,どうなのよ,これ?

こうき

原作2>原作1>>>>イノセンス>>>>GIS>>>>>>>>(越えられない壁)>>>>>>>>SAC1>>>SAC2

なお,Arise は見ていない.いや,SAC も普通には面白いけどね.別作品として.なお,異論は僕の見えないところで適当にやってて下さいな.

ちなみに,原作(特に 2 巻)を知っていてなお,SAC 好きとか言えちゃう人とは友達になれない.この作品は,ゴースト周りのいわゆる大正期くらいに流行ったオカルティズムと科学(用語)の混在文学の延長線上な形而上的な SF っぷりが魅力なのであって,人形遣いと融合しない,体を持ってる少佐が活躍する刑事ドラマなガジェ SF なんて,別に,攻機としてやる必要なんてなかったのだー

2015年1月13日火曜日

艦これに思う

艦これは,全く興味の埒外なのでどうでもいいんだけれど,アニメになった艦娘たちがモーターボートばりの機動力で動き回っていた映像(たぶん PV?)をみて,艦船特有の鈍重さを模倣しないんだったら,そもそも艦船を萌え化する意味がないんじゃないか,とは非常に疑問に感じたし白けた.単にモチーフのみの引用だったら戦闘なんていらないわけで…….

ネウロイ的な安直な敵設定もなんだかなぁという感じ.せっかく帝国海軍の船ばかり(と聞いている)なのに,他国の艦娘とバトルするわけでもないらしい.

あと,矢が戦闘機になった描写で昆布茶噴いたw なんか,矢の方は調べたら空母って設定らしいけれどwww

2015年1月12日月曜日

ぼっち席

ここ 2, 3 年くらい大学の学食にぼっち飯用のぼっち席ができているみたいなニュースを見ることが多いけれど,そもそも,大学の学食ってぼっち飯以外の人の方が少ないイメージなんだけどな.四人掛けのテーブルの対角にぼっちがそれぞれ座って本とかスマホとか論文とかを空いているスペースに置いて読みながら食ってるイメージ.むしろ,「あそこの研究室っていつもみんな一緒に飯食ってるよね?」とか逆に話題になることがあったような……

ちなみに,僕は,基本的に飯は自分のペースでひとりで食いたい派なので,基本的にぼっち飯です.食事中に会話とか嫌だ.もともと喋っていた流れで飯の時間になったとか,会話やコミュニケーションの方が主体で,食事がおまけな場合はその限りではないけれど(飲み会とかランチミーティングとか).

成人式

自分のからは彼此 10 年以上の月日が流れた.ちなみに,僕自身は地元を離れていた(住民票も移っていた)ので成人式自体出ていないんだけれど(いまはどうか知らないけれど,当時は成人式=同窓会だったので,札幌で出てもしょうがなかった),当時も,最近の風潮をメディアで見るにしても思う(思った)のは,成人式って基本的にいい歳したおっさんがこぞって新成人を小馬鹿にする日だよなぁ,ということ.

新成人が式典自体に意味を見出さないのは,いまも昔も変わらないとして,ちっとも面白くない親父ギャグとか,ウケ狙いだけどだだ滑りのイベントとかをかまされるくらいなら,厳粛に荘厳に式典を行って,つまらない地元の名士の長話を聞かされる方がマシだと思うんだけれど,相変わらず,阿呆丸出しのイベントなんかがセッティングされているようで,なんとも言えない気分になる.式典で大騒ぎする DQN と公式に行われている式典で AKB だかなんだかの歌を歌う市長(だっけ?)とどっちが低レベルなのやら……

ぶっちゃけ,そんなクソみたいな企画をドヤ顔で晒している連中は DQN に式典ぶちこわされてればいいんじゃね,どうせみんな同レベルのバカなんだし,とか思う.

らっぴ

http://alfalfalfa.com/archives/7750585.html

函館周辺地区限定とか言われているけれど,その昔,みつわ台(千葉市)にも店舗があって,母方の祖父母宅(七飯町)にもあったから全国展開しているものだと高校くらいまで思い込んでいた.

ベーコンエッグバーガー派です.

2015年1月11日日曜日

国内旅行

近年,国内旅行に凝っていて,年に 1 回はどこぞに旅行目的で行っている.加えて,学会とかで行くときも,短い時間ながらも観光の時間を作ってふらつくことが多い(学会のセッション をサボったりもするけど.とはいえ,そんな短時間だとあまり廻れないので有給とって 1 日出張を伸ばしたりとか).

海外とかでも行きたいと思うところは色々あるんだけれど,手軽ではないし,ネイティブじゃないと制限も多いし,危険も多いし,どうしても著名観光地を中心にスケジュールを組まなきゃもったいないのでゆっくり出来ないしで,なかなか難しい.その辺,国内だと(金銭的な余裕のできたいまなら)ふらりと身一つで気軽に行けるので気が楽なのです.

そんなわけで,四国旅行を計画中.うどんと骨付き鳥が食いたいというだけで思いついたんだけれど,ついでに中央構造線と四万十帯を見たいな,と.

2015年1月9日金曜日

今期こそマジで

新規作品をほとんど見ない気がする.前クールがいい作品多かった割に,今クールの絶望的なまでの見る気の起こらなさよ…….「ユリ熊嵐」はイクニ監督作なので見るとして,ほかは石川雅之先生が好きなので「純潔のマリア」くらいかな.いくつか 1 話くらいはチェックするかもしれないけれども……

(追記 1/12)忘れていたけれど「夜ノヤッターマン」は設定で出オチな気がするけど,たぶん,見ると思う.

たぶん

ゴスロリ様は 40 代後半〜50 代前半.1980 年代後半のバンドブーム期に青春時代を送っていた世代であろう.年期のはいったゴスロリっぷりは蟻プロに近似していいんじゃないかと.

言葉の意味とネタの鮮度

某所で「ポスドクは水商売らしい」という言葉が Wikipedia の「水商売」の解説部分の画像とともに "ネタ" として書かれているのをみて,(一歩先も見えない非正規雇用なんだから当たり前だろ,という意味で)なにが笑いどころなのか,まったくわからなかったんだけれど,他者から「水商売を性風俗産業だけを指すとでも思っているんじゃねーの」と指摘されて,ようやく意味が分かった(その後,wikipedia を見たらそういう用法も一般的らしい).

水商売と聞いて,真っ先にイメージするのは落語家とか芸人のような職種なので(多分落語好きなせい),水商売って言葉自体に原義(というか,今でもそういう意味だけど)のイメージしかなく,性風俗業のみを指すという限定的な使い方はしっくりこない(「お水」とかの業界人が自称するような符牒ならわかるけれど).

ネタも水物なら,言葉の意味も水物だな,と思った(上手いことまとめたつもり).

2015年1月7日水曜日

ただ格好付けて言ってみたかっただけ

リベラリズムや中道左派が求心力を失った背景はファッションとしての Love & Peace が売れなくなった原因と通底している.

どうでもいいけど

「巫」の字が命名に使えるようになったとかいうニュースを見て,「へー,こんな普通(=常用平易)な字も入っていなかったんだ」と思った(正確にいうとそれを裁判で争ったというニュースを見たときにも思ってはいたのだけれど).でも,そもそも「巫(=シャーマン,神に仕える,神懸かり)」って,さほどいい意味・イメージの字でもないから子供につけるのってどうなのよ,とも思ったけれど,調べてみると「悪い」ってほどのものでもないかもしれない(「良い」とも決して思わないけど).というか,常用漢字が全部使える時点でもっとヤバい意味の漢字なんて大量にあるけどさ.

そもそも,仮に子供がいたとしても使う気もない字だから,自分には関係ないことなのでした.

2015年1月6日火曜日

うーん……

「生存戦略!」または「生存戦略しませんか?」は,学会でよく使ってたけど,「ユリ承認!」を学会で使うのは ムリダナ(・x・)

え?「世界を革命する力を!」は日常語ですよね?

2015年1月5日月曜日

【悲報】

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1824026.html

俺氏,この IKEA の椅子に座れないことが発覚.

学校裏サイト

新年を迎えたのを機に,放置しまくっていた古いメールを整理していたら昔作っていた学校裏サイト(研究室の学生同士の非公開掲示板的なもの)のやりとりのログが出てきた.なんか,それを見ていたら学校裏サイト(OB 版)的なものを作って情報交換するとかいうアイディアを思いついたけれど,たぶん,やらない.

年賀状

能動的に年賀状を書かなくなってしまって久しいけれど,流石に返送しないほど無礼者でもないので,今更,年賀状の返事を認めたり.もう三が日終わっているけど.職場の人には配達されるより前に明日会っちゃうけれど.

……というわけで,ここを見ていてかつわたくしに年賀状を送っていただいた方々には,明日以降に賀状が届くことと思います,ということをお伝えさせていただきます.

2015年1月4日日曜日

新年の抱負的な

旧年中はお世話になりました.新年もよろしくお願いします.(定型文)

2014 年は,早々に身体をぶっ壊して,それ以降も病気の類いでダウンしてしまったことで不本意な展開も多くあり,不満足な年になったと総括も出来てしまいますが,まぁ,それなりに微速ながら前進を実感できた部分もあり,ぼちぼちといったところでした.いちおう,結婚もしたしね.今年は,前進を少しだけ加速できたら良いかなと思っています.あと,そろそろ本腰を入れて不良債権も片付けないといけないかな,と.

あと,バカになっちゃわないように(参考),もう少し頭を回転させる機会を作りたいなと思います.現在地が環境として不十分なわけではないけれど,極端に小規模なコミュニティーであるがゆえ,インプットや議論の場に乏しいのは事実なので(完全な同業者が日常的に周囲にいないゆえ,分野を区切ると自分がトップになっちゃう),どうしても思考が偏ってしまうし,周囲においていかれる危機感が常にあるので,もう少し積極的に外にでてボコられて来ようと思っています.

身体に関しては,まぁ,いまは持ち直しているのですが,もう少し大事にするべきかなとも思っています.もう無理は出来ない歳なのよね…….取り敢えず,夏前までには二桁まで体重は落とすつもりです.

パーソナルなところでは,もう少し,文化レベルを上げようかなとか思っております.自由にできるお金もあることだし.ここ数年は,メインカルチャー/サブカルチャーの別を問わず,文芸,音楽,芸術,演芸の鑑賞に時間を割けていない気がするので(それでも,アニメとか見ている分,一時期よりはマシかも),もう少しその辺をアクティブにしたいかなと思っています.とりあえず,「あ,この展覧会(映画,本,演劇 etc.)みたいかも」と思うだけで,そのまま結局行かないという展開は避けたいです.これは,脳みその回転とかとも一緒なんだけれど,この辺のインプットをサボると自分の感性が鈍っていくような気がするので…….

そんなわけで,ゆるりとのそのそと 2015 年も蠢いていようかと.