2015年5月31日日曜日

宮沢賢治は好きだけれど,宮沢賢治を取り巻くアレな感じは嫌いなのだ

http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4881863.html

単に,「ある牛飼いがものがたる」の対になる締めの言葉以上の意味はないんじゃねーの,と.すぐ思い出せるところで,「やまなし」でも似たようなテクニック使ってるし,他にも起文と結語でくくる形式の話はあったような気がする.宮沢賢治に限らなければ,それこそ,無数に.

とにかく,テクストとして書かれた文字以上のものを考える風潮はとっとと死に絶えてほしい(この書かれていること以上の意味を考えるのって,陰謀論の生じるロジックと一緒なんだよね.陰謀論がはびこるのを防ぐのには科学教育よりも国語教育の方が重要ということなんだけれど,これはまた,別の話).「やまなし」の "クラムボン" とか,(少なくとも高等教育を終了しているレベルの)いい大人が意味がどうこうとかネット上で書いているのを見ると,本当に頭痛が痛くなる.

宮沢賢治の感性や語感は独特だし,彼の文章から立ち上る臭気は日本文学の系譜の中で,かなり特異的な存在だと思うし,なにより,あの物語の中に示される彼の科学的かつ宗教的な世界観は魅力的だけれど,それに纏わりつくような,学術的な研究を超えたところに妙な執着を持って,いち作家以上に神聖視するタイプの "宮沢賢治研究者" とか,そういう存在が大嫌い(名前は出さないけどさ).

あーいうタイプの自称研究者の信者が消え失せないと,そもそも,宮沢賢治そのものがちゃんと評価されない気がするのです.

2015年5月29日金曜日

札幌最古の地層の話の続報

以前書いた薄別層の話に興味がある方がいらしたので,観察してきた内容をまとめました.

札幌最古の地層(?)・薄別層
(おまけ: 北海道南部,渡島帯の先白亜系・大鴨津川コンプレックスの石灰岩

ご興味のある方はどうぞ.ただし,某小学生向けアウトリーチ企画で岩石拾いに行ってきただけなので,走向・傾斜すら測っていません.クリノコンパス持って行ってたのにね!

2015年5月27日水曜日

アカハラ裁判

東北大学のアカハラ裁判の件.

僕が,東北大学の地学専攻に在籍していたのは,かの事件が起こってから数年経ったあとだったので,リアルタイムでどんな様子だったのかは知らないけれど,当時を知っている人からどういう状況だったのかを聞く機会は何度もあったし,あの事件については,少なくともニュースの数行の記事で目にするだけの人よりも,遥かに詳細に知っていると言っていい立場だと思う.

だから,敢えていうけれど,あの事件で起こった学生と教員の間の軋轢に関して「大学院生が指導を求めたのに不当に拒否したなど、嫌がらせ目的の行為をしたと認めることはできない。元准教授の不法行為は成立しない」(河北新報の記事中で裁判官の発言とされるものを引用)という見解に基づく判決はとても信じられない.あの事例で,法的にアカデミックハラスメントによる精神的な被害と認められないなんてことになったら,今後,アカハラの基準がとんでもないことになるぞ,と.

とりあえず,判決文も見ていないし,新聞記事レベルの情報から判断するべきことではないけれど,堪り兼ねたので.

※アカハラ案件の概要は,当然,僕ごときが公然と書けるものではないので,隔靴掻痒感があったらごめんなさい.容易にアクセスできるものとして,東北大の報告書とか当時のニュースとかをご参照願います.

※本当はもっと言いたいこともあるけれど,一審判決の段階でいうべきことでもないので,このくらいで.

※アカデミックハラスメントとか,学生と指導教官の関係とか,そういうことについては,また,別な記事を用意すべきかな,と思っている.

2015年5月26日火曜日

巡り会うことのない人々

ほとんどの人は,ほとんどの人と会うことはない.一人の人間が一生のうちに会う人の数は,俗に 10000 人くらいとか言われていますが(根拠レス),知り合いといえるレベルに限れば多い人でも数千人くらいで,まぁ,一般人なら 1000〜2000 人程度でしょう.これに類は友を呼ぶという諺を掛け合わせてやると,あら不思議.あなたと見解が大きく違った気にくわない理屈を吠えているネット上で目立つ彼ら,あなたがどうしても反論したい屁理屈野郎には,たぶん,直接会うことはない.さらに言えば,だいたいの人はリアルではネットほど口が軽くないので,仮に出会ったとしてもその事実に気が付くことはないのです.

何が言いたいかというと,処女厨とビッチとの口論や,ネトウヨと売国奴との罵り合いや,「ま〜ん(笑)」とかいう層と「私女だけど」とかいう層の険悪な雰囲気なんかは,ヴァーチャルでしか起こりえないので,気にするだけ無駄よねということ.

2015年5月25日月曜日

つねづね

なんか,このくらいの季節になると,毎年のように言っている気がするけれど,なぜ,気温の上昇にあわせて自販機から「あったか〜い」が消えるのか.温かいものを飲むか冷たいものを飲むかというのが気温に相関するとしても,選択肢を全てなくすのは違うんじゃないかと常々思っているし,そういう意見の人をよく見るんだけれど,なかなかそうならない.仕舞いには,おしるこまで冷やして提供する自販機もあるくらいだ.

これ,本当にどうにかならないのかね?

2015年5月22日金曜日

本末転倒

ドローンが欲しい.ドローンが使いたい→なんとか自分の研究内でドローンの使いどころがないか考える→無理→ドローンを正当に買えそうなテーマを考える(いまここ).

安物ならすぐにでも買えるんだけれど……

2015年5月20日水曜日

せいゆう

最近,黒沢ともよの演技が好き.意図してやれているくらい芸達者なのか,偶然,ハマったのかはわからないけれど,「ユーフォ」の主人公のブツブツ独り言系失言女子のバランス感覚がとてもいい(他の演技をほとんど知らないから,奇跡のバランスか,演技指導の妙の可能性もある).

なにより,意識してか知らずか,声のトーンとダイナミクスのコントロールが絶妙.特に,ダイナミクスを演技できるレベルの声優って,ベテランでも少ないから超貴重(というか,ベテランほど極端に声の強弱を変化させることを怖がって,声を張りがちな傾向がある.たぶん,声優が舞台俳優崩れだった頃の名残.高性能のマイクで音を拾ってる環境なんだから云々.正しいピアニッシモが弾けないピアニストは云々 [以下長くなるからカット]).

とりあえず,しばらく,要チェック.

2015年5月19日火曜日

たこやき

某地方自治体で行われた住民投票について.自分とは(将来的にも?)ほぼ無関係な土地の話だったので,一種の政治ショーとしてニヤニヤ眺めていたのだが,将来的に,どの地方自治体にも起こりうる,ひとつの局面の極端な例のひとつとして,面白いケーススタディーでもあったと思う(内容はともかく,この部分の面白さは十分に評価できる).

まぁ,緩やかに衰退していくか,カンフル剤の投入(をしてかなり高い確率で爆死する)かの二択という設問に対して,賛成・反対が拮抗したのは,意外ではあったのだけれど(もっとがっつり反対に触れると思っていた).しかし,いちばん面白かったのは,賛成・反対・どうでもいい(棄権)が,完全に拮抗していたところ.

はてさて,地方自治体再編の流れとして,自分の周囲で近い未来に起こりうるものとして,道州制があるけれど,そのときにはどういう面白展開になるのかがちょっと楽しみになってきた.

音楽と老化

人は 33 歳くらいになると,新しい音楽を聴かなくなるという研究結果が出たという.世間の反応を見ると,「俺は,これ以上の年齢だけれど新しい音楽も聴く!」という自慢みたいなのがほとんどだけれど,そういう反応が多くなるのは,そもそもこのニュース自体,音楽に興味がある人しか反応しないようなニュースだからであって,実際のところ,多くの人は老化に伴って新しいものに興味を失うものだと思う.別に,音楽に限った話ではなく.

自分はどうかというと,今年の 9 月で 32 歳になるわけだけれど,確かに,昔に比べて新規ジャンルの開拓に対する熱意は減ったような気がする.好きなバンドやジャンルの新作を追いかけることが「新規開拓」に当たらないのだとすると,この調査にもれなく,自分も興味が老化してきたのかな,と.

さて,ここで問題になるのは,仕事である研究や科学,地質学に対して,何歳くらいまで発展的な興味を持ち続けられるのかしら,といったところ.一説には,"研究者 55 歳変節説(※)" なんてのも言われているけれど,はたして…….

(※)だいたい 55 歳を過ぎると,優秀な研究者でも政治家になってしまうという話.

2015年5月17日日曜日

説明責任

最近,大学教官的な層から「(研究費を使うにあたって)なんでこんな下らないこと説明しなきゃいけないんだ!」というつぶやきが聞こえることがある.昔は,自分も(別に大学教官じゃないけれど)そう思う側だったけれど,如何に非常識なことかが,最近,わかるようになってきた.

誰がどう見ても納得がいく使用意図が説明されていることが決済の基本なのであって,その辺をゆるゆるなぁなぁで使えていた昔の状況が異常なのだ.決して,最近,不祥事が多くなってきたから(普通より)厳しくなったんでは,全くない.むしろ,いままで厳重な保護がなされていた象牙の塔に,ようやく,常識が入り込んできたというだけなのだ.

例えば,「学会で出張に行くよ」は,説明ではない.こういう場合は,「この科研費を利用してこのような成果が出たので,それを発表するとともに,学識者と議論をし,科研費研究をさらに前進させるために学会に行く.また,その学会の場で同分野の研究者の研究の展開を情報収集し,自分の研究活動の糧にする.以上の目的で,学会参加費を請求する.また,学会は⚪︎月×日の朝から始まり,最終日には帰ってこられないので,学会前日と最終日の翌日に移動日を設定して⚪︎泊×日分の宿泊費と旅費を請求する」と(最低限)書いて,初めて,説明責任になるのだ.こういう部分を蔑ろにしていたりすることが昨今の様々な問題を生んでいるのだから,このぐらい(普通の社会ではみんなやっているんだから)文句を言わずにやりやがれ,と思う,公務員的な立ち位置の研究者の愚痴なのでした.うちなんて,学会発表くらいで(以下は,検閲削除されました).

2015年5月16日土曜日

わんぴーす

ベタなシチュエイションのひとつとして,(様々な場面で)「結構オタクなので,漫画とか好きでー.ワンピースがマイベストなんですー」と言われるというテンプレネタもだいぶ定着してきた感がある.

ワンピースの連載が始まったのは,僕が中学の時で,多くの同世代が少年漫画から卒業し始める時期だった(僕自身は,元々,少年漫画のノリが好きじゃなかったけれど).連載開始当時,「面白い漫画が始まった」と話題になった記憶はあるし(というか,読み切りの段階から結構話題になっていた),しばらくは,僕も楽しく連載を追い掛けていた気がするけれど,あっという間に読まなくなってしまった(僕自身はアラバスター云々の始まったくらいまでで記憶が曖昧.ゴッドエネルは覚えているから,空島くらいまでは読んでいたんじゃないかと思う).たぶん,僕と同世代だと,長く読んでいた人で空島くらいまでという人が多いんじゃないかと思う(あとから読み直したとかは除いて).しかし,それは単純に,成長に伴って好みが変わったりとか,中二病や高二病を発症して少年漫画から離れたりとか,そういう理由が主であって,ワンピースそのものの魅力とは関係ないことがほとんどだと思う.なにしろ,ワンピースは長い.なんと,いま,連載 18 年目で 77 巻も出ているそうだ.連載開始から,ずっと読み続けている人なんてほとんど皆無だろう(ちなみに,僕の知人には一人いる).

んで,冒頭のネタに戻る.このネタのタチの悪いところは,ワンピースが "基本的に面白い漫画" であるところだと思う.ワンピースがつまらないと本気で思っている人や,なんのプライドか知らないけれどワンピースを小馬鹿にすることで満足したい人なんかとは,冒頭の発言をするタイプよりも友達にはなりたくない.「ワンピースは面白い」ということが事実であるかぎり,冒頭の発言にどう対応したらいいのかがわからない.「NANA」とか「君に届け」とかを至高の作品と言われるより対応に困る感じ(なぜなら,「NANA」は現行の全巻,「君に届け」は 16 巻まで楽しく読んだから).

なにより,冒頭の話題に至る前提として,こっちが「漫画とか好きです」みたいなことを振っちゃっている例が多いのに,大メジャーの「ワンピース」をほとんど読んでいないから,感想をいうこともできないというのがキツい(ワンピースが面白い以上,読んでもいない曖昧な知識で貶しはじめたら,それこそ,人として終わっている).その結果,「絵がゴチャゴチャしていて苦手なんです……」というテンプレ回答が生まれたんじゃないかと.

やっぱり,あれか?現行 77 巻を,もう一回,はじめから通読して,確固たる感想を保持するべきなのか?たぶん,面白いんだろうし.

そろそろ

今期のアニメも中盤に差し掛かってきた.「パンチライン」「俺物語」「ユーフォ」が頭抜けて面白い.個人的には特に「パンチライン」を推す(「パンチライン」が不人気なのは知っているが,マジで謎).

某紐アニメは,順調に,いいクソアニメに育っている.とある 1 期は名作だったのに,2 期に入って無能が演出しているせいで,クソ退屈でテンポもリズムも何もないゴミクソアニメ化した「俺ガイル」は,そろそろアニメを切って,原作を買ってもいいような気がしている.扱っている内容的には 1 期よりも面白くなりうる題材だし,たぶん,原作読んだら面白いんじゃないかと思う(演出もだけど,脚本も原作から場面を持ってくるセンスがない.たぶん,原作の大事な会話,何個か飛ばしてるんじゃないかな?).本当に「ダメな演出」の教科書みたいな作品なせいで,ゴミアニメ化の一途.下手な改変や原作レイプよりも酷い,原作者が可哀想になるレベルのゴミ演出.

「D×D」「グリザイア」「アルスラーン」は普通に面白い.「Arise」は当然見ていない(原作 1, 2 巻と G.I.S.(とイノセンスは辛うじて)しか認めない教の信者のうち,S.A.C. を認める人間とは絶対に友達になれない教派に属しているので,「Arise」は見るまでもなく認めない).

キング訃報

訃報をはじめに見たのが公式アナウンスやニュース系サイトではなく個人のつぶやきだったので,「おいおい.ベン・E・キングが死んだの二週間前だろ」と思ってスルーしてしまって,その後,ニュースサイトで記事を見て B. B. キングの訃報だと気付いた.

(正直,クラプトンと "Riding with the King" つくった頃くらいまでしか活動は知らないから,むしろ,まだご存命であったことに驚いたけれど)

ブルースを語れるほど詳しくないんだけれど,ルシールは音が良くて,それだけで惹きつけられる部分があった(ブルースに限らず,ギターの音作りの基準になっている気がする).あと,「歌いながらギター弾けない」といって,太った体で歌ったりギター弾いたり忙しそうにコロコロ変わる感じがスタイルとして定着して,なんか,もはや,格好いい気がするレベルだった.

R.I.P.

2015年5月14日木曜日

おいおい

某アニメーター薄給問題に関して,昔から折に触れて,思い出したように何度も取り上げられているネタだけれど,また,手塚責任論が出てきているらしい.

鉄腕アトムの放映開始から,もう 50 年以上が経過しているんだぞ…….制作費で首が回らなくなって虫プロが倒産したときから数えても 40 年以上,手塚が死んでから数えたって,もう 25 年以上経っているんだぜ?そんな長期間にわたってビジネスモデルの見直しをしてこなかった手塚以降の人間の罪の方がよっぽど重い.だいたい,アニメに関しては,手塚が生きている頃から「手塚が悪い.手塚はバカだ」とボコ殴りにされてたんだから,漫画の神様だから恐れ多くて云々というのは,後世の妄想にすぎない.

宮崎駿だって,口では「手塚が〜,手塚が〜」と(嫉妬から)偉そうなこと言っているけれど,自分の庭以外に関してなにかやったのか,と(自分の庭だけでも状況を改善したのは偉いけれど,政治的に働いたのは宮崎駿なわけじゃない).

どんな分野でもそうなんだけれど,「好きなことをやっているから金がもらえなくても幸せ」みたいな考え方はプロじゃないからやめちまえ,ということなのだよね.金が欲しいのに金がもらえないなら,それは政治的に動かなきゃいけないということ.

メモあれこれ

若者がメモを取らずに携帯でパシャパシャ写真を撮って済ますことについて沸き起こった議論に関する話.あまりにも下らなすぎて,実際,どういう議論が巻き起こったかもよくは知らないのだけれど.

メモが,白紙と鉛筆だけで生成されるものなんていう思い込み自体が,その人の無能を証明しているような思い込みなんだけれど,とはいえ,それと同時に,話題の発端となっている「いまどきの若者(一般名詞)」が,携帯で撮った写真や説明コメントなどを駆使した自分だけのオリジナルマニュアル的なものを即時に生成するほど素晴らしい有能な人間であるとも思えないので,もうちょっとだけ.

メモって,基本的にあとでそれをもとに必要事項を再構築するためのものであるとともに,できる限り簡便に作成するものでもあると思う.じっくり時間をかけて,図表写真を駆使して,内容を詳述しているものは,もはや,マニュアルだ(そんなもんは即時に作れるわけがない).そういう意味で,詳細な描画や引き写しが必要な時に,そんな作業を白紙と鉛筆でするくらいなら,写真を駆使することはメモの手段として妥当であるのは当然として,同時に,白紙に鉛筆で要点やコメントや図表やスケッチをマルチに走り書きするのも,もっとも簡便なメモ作成手法なのだ.いかにタブレット型 PC が一般化して,便利なアプリがたくさんリリースされたところで,直感的に即時的にメモする時に簡便なのは,まだ,しばらくは白紙(タブレットの手書きメモアプリを含む)と鉛筆だと思う.

要は,適切な手段をいかに選択するのかという問題で,手法に関する問題ではない.写真でもなんでも使いたいものを使ってくれていいけれど,要点を見出してメモに落とし込む方法を訓練することの方がよっぽど重要.

僕の話を聞きながら,メモをする後輩を眺めている時に,紙と鉛筆を使っていたって見当はずれのことを書きなぐっている,なんてことは多々あったので,本当に,そこを訓練する方が手法なんかよりもよっぽど大事.そして,それは手法に付随する要素ではなくて(紙と鉛筆を使えば鍛えられるなんて S [そんな] O [オカルト] A [ありえません]),当人の脳みそと経験値の問題なのです.

2015年5月12日火曜日

美しい文章

http://mindhack2ch.com/archives/30041049.html

川端の文章は嫌いじゃないけれど,割と言葉足らず感が付きまとう気がする.俳句,短歌に通ずる最小限の文字で無限を表すぜ(オラオラ)的な.嫌いじゃないけど.あと,内容はスッカラカンの,「可愛い子がいた.萌える」とか,「こんな情景に美女がいたら良くね?」とか,心底どうでもいい自己陶酔系の小説が多くて,読んでいて萎える.

個人的な趣味を全開で語るなら,同じ海外文学系統組の堀辰雄の文章の方が美しい.「風立ちぬ」冒頭の「それらの夏の日々、一面に薄の生い茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に絵を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木蔭に身を横たえていたものだった」の物語の起文としての美しさは至高.

あと,やっぱり,谷崎の文章は綺麗だと思う.こっちも内容はアレだけど.

2015年5月11日月曜日

札幌最古の地層

今日は,アウトリーチ関連の業務で(あくまで業務であって,自分の趣味を混ぜたわけではない.たぶん),札幌最古の地層である(とされるが,実は,年代未詳)薄別層をみてきた.こいつは,いわゆる渡島帯のジュラ紀〜白亜紀付加体が,新第三系の下からフェンスター状に覗いたものだと言われている.

今回,雪解けで増水しててちゃんと観察出来なかったとはいえ,さっくり眺めた感じでは,比較的,コヒーレントな砂泥互層という印象を受けた.とはいえ,がっつりと石英脈が入っていて,小断層や微褶曲も多く,少ないながらも未固結時変形を受けたようなところもあったので,まぁ,典型的な渡島帯の付加体である印象だ.

ちょっと,ここの年代が出せたら面白いかもという妄想をさっくり諦めきれる程度には微化石屋に優しくない感じだった.

2015年5月10日日曜日

世代間格差

これの補足.

僕の世代は,生まれた頃から CM ソングでも,挿入歌でもなんでも,とにかく身の回りにビートルズの曲が溢れていた.これは,そういうものを選ぶ権利がある立場に僕の親よりひとまわりくらい上の,ビートルズ直撃世代が多かったせいだと言われているし,実際,そうだったんだと思う.そんな背景もあって,僕と同世代〜少し上の世代は,1960 年代の直撃世代に次ぐくらい '60 年代のロックにシンパシーを抱く人が多い気がする.

その後,1990 年代後半くらいから Queen や Derek and the Dominos や Led Zeppelin, Deep purple なんかの 1970 年代以降の音楽が徐々に増えてきて,2000 年代に入ると年代で音楽をくくるのが難しくなったのか, '80〜'90 年代の雑多な音楽〜以前から頻繁に使われている古い楽曲が使われることが多くなっているようなので,選曲権を持つ人の世代は順調に移り変わっているのだろう.

2015年5月9日土曜日

衛生観念とか先入観とか

某ジャーサラダの話.

去年の秋くらいからメイソンジャーを使ってサラダを作るのが流行っているとかそういう記事を見かけていたけれど,最近,急にこのネタが再燃している模様.いわく,気をつけないと衛生的ではなくて食中毒の危険がある,と.まぁ,ジャーサラダ自体,数日の保存とかを歌っているブームなので(本当に生ものをそんな長く保存をするアホがいるかどうかは別にして),生ものを扱うのに注意しなければそういう危険があるので当然の指摘なんだけれど,なんとなく,この急なバッシングに違和感がある.

草だけを生で食う趣味はないのでジャーサラダ自体どうでもいいネタなんだけれど,「若い女性(スイーツ(笑))が海外で流行っているのをノータリンな感じで取り入れている」っていう先入観で,とにかく「叩いとけばいい!」という風潮に見えて仕方がない.

何が言いたいかというと,みんな,そんなに「過度に衛生に気を使った生活してんのかね?」というところ.冷蔵庫には,おかずの作り置きも開封後にやや長い期間使い続けている調味料もなく,当然,ご飯の友の類は開封したらすぐに使い切るか余ったら捨て,浅漬けなんかを作るたびにタッパーを煮沸消毒して,作った麦茶は 1 日で飲みきり(容器は当然煮沸消毒),肉と野菜は包丁とまな板を分けて……,当然,賞味期限が過ぎた素材は使わない,とか言い出したら,全てを実践できている人なんているのか,と(僕の衛生感覚がおかしい可能性は捨てきれないけど).

まぁ,石を投げられるのは自分を省みてからにしたほうがいいと思うんだけれどな,という話.叩いている人間がアメリカンジョークに出てくる,一人石を投げ続けるキリストに見えてしまうのでした.

2015年5月7日木曜日

さいしゅうび

龍河洞→うなぎ屋(うなぎ切れで入れず)→うなぎ屋(休業)→高知空港→羽田空港→新千歳空港→自宅

詳細は後日,どこかに書くかも.

みっかめ

室戸ジオパークセンター→室戸岬の東側散策(徒歩)→ジオパークセンター(2 回目)・後輩と喋る→昼飯に魚介→行当海岸付近を散策→室戸岬付近を散策→ジオパークセンター(3 回目)・後輩と雑談→安芸泊

基本的にジオパークを満喫.ここのジオパークを見ていると,松前半島もジオパーク化できるんじゃないかと思ったけれど,こんなことを言い出すと「お前がやれよ」とか言われかねないので,思っただけ.

ふつかめ

うどん屋(5 軒目)・朝メシ→うどん屋(6 軒目)・ブランチ→中央構造線→小歩危→大歩危→蕎麦屋(祖谷蕎麦)・昼飯→かずら橋(混雑がひどすぎて渡らず)→室戸市街地泊

すき好んで三波川帯の変成岩なんて見に来るやつなんていないだろうとタカを括っていたら,小歩危〜大歩危が異常に人でごった返していて参った.雨も降っていたし…….山奥で時間を取られてしまって,この日は室戸観光できず…….

2015年5月3日日曜日

しょにち

うどん屋(1 軒目)→散歩→レンタカー受け取り.

うどん屋(2 軒目)→栗林公園.

うどん屋(3 軒目)→丸亀へ移動.

うどん屋(4 軒目)→丸亀城→散歩→骨付鳥→ホテル帰還.

2015年5月2日土曜日

いどうび

朝,世間の皆様が粛々と働いている中,拡声器でアジ演説をしている頭の弱い中道左派な人たちを遠巻きに眺め,「(検閲削除)」とか思いながら,デモ行進に参加するふりをして,ホテルのバイキングで昼から飲み会(職場の恒例行事).

有給は取っているけれど,一旦,職場に顔を出して一仕事をしてから旅行の荷造り.

16:00 頃に家を出て,18:00 の飛行機で羽田へ.そこから,乗り換えて 21:30 頃に高松空港着.バスで市内繁華街に来て,今に至る.

とりあえず,明日はうどん屋巡り.