2016年5月30日月曜日

国民的番組

なんつーか,「あ〜あ.やっちゃった」という感じ.

まぁ,立川流ということはないと思っていたけれど,林家をさらに増やすとは思わなかった.個人的には,その世代だったら花緑師匠が適任だったんじゃないかと.びっくりすることに,いま,柳家いないからね.他にもこの世代だと,古今亭菊之丞師匠でも,他とキャラがかぶらない上品なキャラとかでいけたかな,とかも思う.

まぁ,少なくとも,当代三平はない.終身名誉こぶ平のほうがマシなレベル.

メガネを置く,という行為

美術館の床にメガネを置いておいたら,人だかりができて,観客の議論が始まったという話.

http://jin115.com/archives/52132943.html

もちろん,バカバカしいお笑い草な話題ではあるんだけれど,果たして,美術館という場に,いたずらでメガネを放置するという行為が芸術ではないのか,という点が気になる.

なんの意図もなく,わざわざ,美術館の床にメガネを置くなんて行為はできないし,それをなんの疑問もなく芸術作品だと思い込んで眺める観客を撮影するということは,少なくとも現代のアートの消費者に対する批判的な感情が,仕掛け人の内にあるのは間違いない.それ自体が,いたずらそのものを一連の意味のある行為にしてしまっている(そこまでを仕掛け人が考えているのかどうかはともかくとして).

なんというか,いたずらに引っかかった人は,まぁ,世界中から笑われるのかもしれないけれど,引っかかった人の写真を眺めて,「馬鹿だなぁ」と笑っている人も含めて,仕掛け人的には「してやったり」と思われている気がして,素直に笑えないのでした.

2016年5月25日水曜日

科学はある種のロマンを駆逐するけれど,科学もロマンだよねという話?

ニューネッシーというものがある.なんでこんな古いネタを持ち出すかというと,最近,そんな過去の記事を回顧したうえに,ニューネッシーみたいな UMA に想いを馳せるのは素敵だねという内容の記事が朝日新聞に掲載されていたからです.もっというと,こんなバカネタ読み物記事に「科学的な事実を無視している!」みたいなマジレスをしているかわいそうな人を見たからです.

まぁ,マジレスした人と同じように「あの,ウバザメね」と一言で済んでしまう話なんだけれど,それは非常に面白みがないし,たぶん,意味もない.

確かに,アレ自体は,得られている科学的なデータに基づけば,ウバザメの死体と結論づけるだけの物体なんだけれど,アレを読み物のネタとしてイジることに,科学的にウバザメという結論が出ていることはどの程度意味があるだろうということ.

別な話をしましょう.

恋人と二人で,空の星座を指でなぞりながらいい雰囲気になっているカップルの隣で,星を眺めながら,星座っていっているけれど地球から見上げる天球面に並んだ星をつなげて人が勝手に絵を描いているだけで,三次元的に見ると全然バラバラなんだという内容を本を読んで知っているおっさんがいたとして,それが二人のロマンスを変えますかということ.

もっと言えば,かわいい女の子が,「血液型占いだと私とあなたは相性がいいみたい」って話をしてきたときに,「血液型と性格に相関はない」という返事をしますかということ.

科学とか理系とかって,そういうイメージを持たれているし,事実として,そういうレベルの低い発想をする人もいなくはないんだけれど,人間的な感情とか,別な側面で眺めたときに面白くなるものを,科学なんてたったひとつの基準だけで何から何まで否定する必要はないと思うわけです.

最後に,タイトルへの返答.

「いや,ムーにマジレスして,何が楽しいのよって話ですよ」

※なお,僕はオカルトマニアです.

わけがわからない

自分(研究者)が書いた研究に関する書類を,自分(企画担当)がセッティングした所内検討会にかけ,その課題に対して自分(検討人員)がコメントして,自分(研究者)が修正して,自分(書類事務担当)に提出して,自分(書類事務担当)が書類不備のチェックをして,自分(外部機関窓口)が書類の送り先に書類を送付する.そんな最近のわたくし.

寺田寅彦はそんなこと言ってないって中谷宇吉郎先生の本に書いてた

よく,名言だと言われる言葉に「災害は忘れた頃にやってくる」というものがある.まぁ,名言かどうかは置いておいて,「常に災害に備えねばならない」というニュアンスの警句として,大事な言葉ではある.

この言葉,正確に表現するのなら,「他人の不幸(災害)が来るとこの言葉をみんなが思い出す」という感じ.なお,自分の不幸だったら時すでに遅し.

年がら年中,災害のことを考えていないといけない立場の人間としては,今回の熊本地震のような大きな災害を機に,ほんの少しだけでも,活断層とか直下型地震というものについて見識を深めようとする人がいることが救いである反面,寄せられる疑問の程度の低さに,誰にとっても等しく起こりうる災害に対する認知度がものすごく低いという事実に危機感を覚えるのでした.

最近,そういう仕事をしているから数える機会があったのだけれど(資料編纂室的な左遷?),自分の勤め先にくる取材の件数を遡ると,2011 年に(当然のことながら)巨大なピークがあった後,潮が引くように取材件数は減り,その後,小さな地質災害のあるたびに少しだけ取材がくる状態に推移し,東北の震災からだいぶ時が経ち,目立った災害がなかった去年はものすごく取材件数が減っていた.しかし,今年は,この一ヶ月で,去年の取材件数を超える勢いになっている.

普段は,気にも留めないし,当然,お金を出そうなんて微塵も思われないうえに各地で研究機関が廃止に追い込まれている研究分野なのに,いざ,災害が起こると「なんでこの災害が予知できなかった(無理です)」とか「なんでこの研究をしていないんだ(やろうとしても平時だとみんな忘れていて予算がつかないからです)」とか「なんでこんなに研究が進んでいないのだ(みんなが応援しないからです)」とか「税金の無駄遣い(民意とやらで予算がどんどんカットされているので,そんなにお金使っていません)」とか叩かれるという悲しい世界.

でも,災害が起こるとみんなが思い出してくれて,研究予算もつくという,他人の不幸で飯を食う的な悲しさも感じつつ,明日も仕事に向かうのです.

やるせない

某研究不正芸人の本が 25 万部も売れたという某記事中の記載を見て,その分の金や関心がサイエンスに回ったらどれだけ多くの価値のある研究が生まれるか,と考えると,非常に遣る瀬ない.

ところで,瀬戸内晴美が,煩悩の塊のキチガイ色ボケババアだって,認識は万人に共通のものでいいんだよね?それと研究不正女芸人のセット販売とかって,もはや,そんじょそこらのゲスなタブロイド系雑誌よりも低俗ななにものかだな.

2016年5月13日金曜日

訃報に思う

だいたい,訃報に接すると「また,大御所が……」とか「昭和が遠くなるな」という気分になるけれど,基本的に,死ぬ人は高齢者で,死んだことが大々的に報道される人は,著名人なんだから,そりゃ,大抵の場合は,大御所が亡くなったニュースになるよね,と思い直した.

どうでもいいことなんだけれど,僕の見たときに 2 つの訃報に挟まれて,某元プロボクサーの急性アル中のニュースがあって,思わず,「あー,死んだんだ」としばらく勘違いしていた.

2016年5月12日木曜日

憲法 9 条を誇るという恥

昔から疑問なのは,憲法 9 条を誇りだと思うという風潮.まぁ,どっかの活動的(笑)主婦が始めた,ノーベル平和賞云々の話に関してなんだけれど…….

(いうまでもなく,僕は,右よりだし,改憲論者(9 条だけのことじゃなく)なんだけれど,そういう観点からではなく,単純に疑問に思うということ)

この条文の成立過程はどうあれ,基本的に,あの条文って「世界に大きな戦禍を引き起こして,自分たちも大きな被害を受けた」ということに対する,自分たちへの枷とか戒めでしょ?

平和主義や戦争の放棄は,非常に崇高な理念だけれど(これはラジカルな僕でも認める),だからといって,重大な過去への戒めとして作った条文を自慢するというのは,かなり恥ずべきことではないかと思う.

別段,平和憲法がない国が戦争ばっかりしているわけでもなく,逆に日本が,いわゆる終戦以降,戦争をしてこなかった歴史は,憲法があったことが理由ではないだろう.そもそも,戦争の危機に対して "憲法が" 歯止めになった事例なんて存在するのだろうか?

そして,日本が戦争しないというだけの宣言は,究極的に自己中心な価値観で,世界の平和に積極的にはなにも貢献していない,少なくとも他国に誇れることではないという,いわゆる「日本スゲー」系のバカバカしいやつでしかないという,非常に可哀想なオチ.

絶対ないとは言わないけどさ

とある中学生くらいの少年が,奇抜な発想で,しかも,Google Earth を使ってマヤの遺跡を発見したというニュースが全世界を駆け回ったかと思ったら,一瞬で学識者からマジレスを食らって消え失せたという話.

今回のニュースの場合,一報を聞いた時点でリモートセンシングを使って遺跡を探すという学術分野があることを知っていたので(私はリモセンに近しい分野の人なので),瞬時にガセネタ(または少年の錯誤)と判断できましたが,まぁ,騙される人は多かったようで(ニュースの影響力って偉大ね),いつものお決まりの「学者はバカか?」とか「金返せ!」のシュプレッヒコールを方々で見かけました.まぁ,それはどうでもいいんだけれど.

この件で,僕がひとつだけ言いたいのは,数十年前ならいざ知らず,基本的に,どんな分野でも素人が急に最先端の学問領域に新しい風とともに切り込んでくるなんてことはないですよ,ということ.

普通に生きている人には想像もつかないくらい頭のいい人(たぶん,大多数の人は生まれてから死ぬまで一度も会うことがないレベルの人たち.仮に会っていたとしても,その頭の良さを認識できないようなレベルの人たち)が集まって,特定の狭い分野の研究に色々な手法をもって取り組んでいるのが研究の世界です.よく,「素人の柔軟な発想が〜」みたいな言われ方をするけれど,その瞬間までどの学問分野にも属さずに素人でいられる程度の脳みその人に学者より柔軟な発想ができるとは到底思えません.

子供が頑張ったんだから,否定するなみたいな言説も見かけたけれど,研究の世界は,批判や論争を乗り越えてこそ,新たな地平に向かえるものなので,かの少年が,(今回の失敗にめげずに)その熱意を燃やしてくれることを願うからこそ,マジレスが彼には必要だと,僕は思います.

そもそも,この少年の説が世界中に晒されるより前に,この少年の錯誤に気付いている大人はいたはずで,この少年を甘やかして学術的批判を加えなかったことが今回の事態を招いているのは明らかなので,否定されるべきは少年の説への学術的批判を非難する人たちの方だ(そもそも,二年くらい前からの話みたいなので).

2016年5月11日水曜日

県の石

日本地質学会が「都道府県の岩石・鉱物・化石(総称として「県の石」)」を発表した.

ちなみに,こちら→ http://www.geosociety.jp/name/category0022.html

なお,私は諸々の事情があって,北海道の石については制定の過程にかなり関わっているので,この件について積極的にぶーたれられる立場ではないです.普段なら,こういうのにボロクソ言うのにね.

まぁ,各地の石を眺めてみても,冒険するということもなく無難なところに収まっているんじゃないかと思うけれど,当然,「なんでこの石じゃないの?」という意見が出てくることもあるだろうが,それはそれ,各都道府県で岩石・鉱物・化石をひとつずつしか選べない以上,ほとんどの石に光が当たらないこともやむなかろう.

(それでも,広大な面積を有する北海道については,複数の石を挙げてもいいんじゃないかという意見はあった.でも,化石は,募集時の地質学会による印象操作のせいで,そもそも候補がほとんど無かったのよね→ 募集開始当時の blog 記事 [鉱物以外は的中でした])

ちなみに,(いつ出版されるかは知らないが)この県の石+今回は選考に漏れたけれど惜しかった石の本が出版される予定だそうで,今回の選定に不満がある方は,是非,そちらも期待していてください(ステマ).